災害や事故などによって、互いに結び合っていた人生が突然に「死」と「生」に引き裂かれてしまう。それは、何より辛く、悲しい別離だ。肉親や近しい人の死は、生前には気づけなかった思いを湧き上がらせる。“もっとこうしていれば”と、振り返って涙が頬を伝う時もあろう。追憶は尽きることがない。法華経寿量品には、「方便現涅槃(方便もて涅槃を現ず)」と、死もまた方便であると説かれる。生も死も同じ永遠の生命に具わる現れであり、生死は不二なのである。永遠の生命観で捉えるならば、死によって「心の絆」「生命の絆」が切断されることは決してない。亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる。寿命も、福運も、誓いも、全て受け継いでいく「後継者」なのである。妙法は三世にわたって生命に凱歌を響かせゆく大法である。ゆえに「我ら東北家族の絆は永遠! 永劫に幸福勝利なり」と確信し合いたい。