今日は、皆が和気あいあいと広宣流布を進め、功徳を受けきっていくうえで、大きな障害となる怨嫉という問題について、未来のために語っておきたい。信心をしていても、同志を嫉妬し、恨んだり、憎んだりするような心があれば、功徳も、福運も積めないし、喜びも、感激も、生命の躍動もありません。そうなれば、表面的に、いくら取り繕っていたとしても、その人の実像は不幸です。そんな事態にならないために、何が大事か。学会の世界は、信心の世界です。信心から出発し、信心で終わる。すべてを信心の眼でとらえていくことが肝要なんです。では、信心とは何か。万物の一切が、わが生命に、己心に収まっており、自分自身が妙法蓮華経の当体であり、仏であるとの絶対の確信に立つことです。大聖人は『都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず』(御書三八三ページ)と仰せです。
“自分の胸中に仏の大生命が具わっていることを信じて、ひたすら唱題し、自分を磨いていきなさい。それ以外に人生の苦しみ、迷いから離れることはできない”というのが、大聖人の教えなんです。皆さんが、本来、仏なんですよ。その自分を信じ抜くんです。他人と比べ、一喜一憂する必要はありません」
「怨嫉という己心の魔に紛動されないように、題目根本に自身を磨いていこう」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)