熊本・大分を襲った一連の地震は、最初の揺れの発生から、きょうで1週間を迎えた。断続する余震、長期化する避難生活に、被災者の心身の疲労は増すばかりだ。20日には、登坂九州婦人部長が熊本西文化会館(熊本市西区)へ。避難している婦人部の友に寄り添い、声に耳を傾け、復興を誓い合った。震度7の激震に見舞われた熊本・益城町にも、不屈の創価の母たちがいる。益城婦人部の友を追った。田上好恵さん(益城本部、婦人部本部長)は、居ても立ってもいられず、急いで車に飛び乗った。20日午前10時。車内には、この日付の本紙の束が置かれている。「早く、池田先生の心を皆に伝えなきゃ」田上さん自身も被災者である。自宅は激しい揺れで“くの字”に曲がった。現在、益城町保健福祉センターに避難している。聖教新聞は、災害対策本部が置かれる熊本平和会館の予備分を、同志が届けてくれた。1面と3面に池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の随筆が掲載されていた。「自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる――この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です」と。 震災直後から、電話やメールで同志の安否確認を続けてきた田上さん。「絶対に置き去りにしない」との師の言葉が生命を揺さぶる。“そうだ! 私たちも……”最初に訪れた先は池﨑智子さん(益城常勝支部、支部婦人部長)の自宅。外からは一見、無事のようだが、中はあまりの惨状で「現実と思えない」と、池﨑さん。菊陽町内で車中泊を続けながら、自宅の片付けに通っている。随筆を読むと、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。「前を向かなきゃね。少しずつ、少しずつ……」続いて避難所の駐車場で、車中生活を続ける木山支部の澤村嘉代子さん(支部婦人部長)のもとへ。同じく避難中の支部の同志、松本美知子さん(白ゆり長)も居合わせ、共に聖教新聞を広げた。澤村さんの目に飛び込んできたのは、随筆に掲載された一枚の写真。35年前、阿蘇の“白菊講堂”に師を迎えた時の模様だ。実はこの場に「私もいたんです」。終了後、師と記念撮影をした一葉は今も保管してある。「あの日、初めて先生にお会いして、誓ったんです」。自分に負けず、苦難に負けず、人に尽くす人生を――と。澤村さんは、ぎゅっと唇をかみしめた。被災者の置かれている状況は、一人一人違う。時が経つにつれ、先行きの見えない不安や、大切なものを失った悲しみがあふれてくる人もいるだろう。田上さんも将来のことを考えると胸が詰まる。「けど、先生が、同志がおるけんね!」。不屈の創価家族がいる限り、九州の母は断じて負けない。