山本伸一は、高齢の芝山太三郎の手を、ぎゅっと握ったまま語っていった。
「お会いできてよかった。同志もいない山間の集落で、病弱な奥さんと共に、あなたは敢然と広宣流布に立ち上がった。苦労したでしょう。辛い思いもしたでしょう。何度も悔し涙を流したことでしょう。
でも、歯を食いしばり、御本尊を抱きかかえるようにして、日蓮大聖人の仏法の正義を叫び抜いてきた。まさに、地涌の菩薩の使命を果たしてこられた大功労者です。
口先で広宣流布を語ることはたやすい。大切なのは、実際に何をしてきたかです。
日々、心を砕いて、身近な人びとに仏法を教え伝えていく――その地道な実践のなかに、世界広布もあるんです。
私は、健気な庶民の王者であるあなたを、見守り続けていきます。毎日、題目を送ります。どうかあなたは、私に代わって、地域の同志を、集落のすべての人びとを守ってください。よろしくお願いします」
芝山は、決意に燃えた目で大きく頷いた。
それから伸一は、四国総合長の森川一正たちに視線を注ぎながら語った。
「この方が、集落の広宣流布を決意して戦ってきたように、目標を決めて信心に励むことが大切なんです。自分の住んでいる集落でも、自治会の範囲でも、向こう三軒両隣でもよい。あるいは、親戚、一門でもいいでしょう。そこを必ず広宣流布しようと決めて、年ごとに、具体的な前進の目標を立てて挑戦していくことです。目標がなければ、どうしても惰性化していってしまいがちです」
伸一は、後日、芝山に杖を贈った。
その杖を彼は誇りとし、八十歳近くになってからも、杖を手に、こう言って弘教に飛び出していった。
「今夜は、月が明るいけん。折伏に行かなあいかん。山本先生と約束しちょうけん。噓をついたらいかん」
広宣流布の誓いに生き抜き、行動する人こそが、真の師弟であり、同志である。(聖教新聞より転載)
「自分自身の生き方、弟子の生き方がある。自分の命がいつも師弟不二かどうか!師弟共戦の人生を歩もう!」