創価学会仏壇の桜梅桃李のお知らせ・日常が、ここでご覧になれます。

  • 桜梅桃李.com
  • 昭和57年創業以来38,000件以上の創価学会仏壇を安心価格でお届けしています。
  • 昭和57年創業以来38,創価学会・SGI仏壇の事ならお気軽にご相談ください
  • 0120-7676-43 電話受付 10:00~18:00 水曜・日曜定休
サイズから選ぶ

2016年8月10日 AM 10:27

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 清新 四十八を読んだ感想と決意 島幸弘

201681010283.png
宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。日蓮大聖人は「法華経最第一」とし、その法華経の肝要こそが南無妙法蓮華経であると宣言された。そして、確かな根拠を示さずに法華経を否定する諸宗の誤りを、鋭く指摘していった。それをもって大聖人を、独善的、非寛容、排他的などという批判がある。しかし、全く的外れな見方といえる。大聖人は、比叡山など各地で諸宗諸経の修学に励み、文証、理証、現証のうえから、それぞれの教えを客観的に比較研究して精査し、結論されたのだ。つまり精緻な検証を踏まえての確信である。また、仏教の真実の教えとは何かについて、広く論議し、語り合うことを、諸宗の僧らに呼びかけ続けてきた。そして「智者に我義やぶられずば用いじとなり」(御書二三二ページ)と、かりに自分以上の智者がより正しく深い教えを示すのであれば、それに従おうと明言されているのだ。そこには、宗教こそ人間の生き方、幸・不幸を決する根本の教えであるがゆえに、徹して独善を排して真実を究明し、公にしていかなければならないという、真摯な探究、求道の姿勢がある。同時に、破られることなど絶対にないとの、大確信に基づいた御言葉であることはいうまでもない。
堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要件といえる。一貫して公的な場での法論を主張する大聖人に対して、諸宗の僧らは、それを拒み、幕府の権力者と結託し、迫害、弾圧を加えた。(聖教新聞より転載)
 
「世界平和を実現して行くためには、個人の考えが平和主義、人間主義でなければなりません、個々人の考え方は顔の形が違うように千差万別です。宗教は人間の根本思想なので、宗教間の対話、特に宗教家、庶民ともに大いにして行くべきだと思います。
問題は協和のための話し合いであり宗教論議に陥らないという条付きにしなければなりません。もちろん私は日蓮大聖人の仏法を信奉:信心の師匠は池田先生です。世界のあらゆる諸問題は人間としての根本思想を各人がしっかりと持ちそのように行動して行く生き方をして行くしかないのではないかと思います!」