離陸した搭乗機が雲を突き抜けると、美しい青空が広がり、まばゆい太陽の光を浴びて雲海が白銀に輝いていた。
山本伸一を団長とする創価学会訪印団一行は、一九七九年(昭和五十四年)の二月三日午前十一時、九州の同ら
に見送られて鹿児島空港を発ち、最初の訪問地である香港へと向かった。
伸一は、窓に目をやりながら、隣に座った妻の峯子に語った。
「曇りの日には、地上から空を見上げても、太陽は見えない。そして、何日も何日も、雨や雪が降り、暗雲に覆わ
れていると、いつまでも、こんな日ばかりが続くような思いがし、心も暗くなってしまいがちだ。
しかし、雲の上には、いつも太陽が燦々と輝いている。境涯を高め、雲を突き破っていくならば、人生は常に太陽と共にある。
また、たとえ、嵐のなかを進むような日々であっても、心に太陽をいだいて生きることができるのが信心だ。
私は、こうして機上で太陽を仰ぐたびに、戸田先生が詠まれた『雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん』との和歌が思い起こされるんだ。
アジアの民衆は、垂れ込める雲の下で、月の光を見たい、幸せになりたいと渇仰している。先生は、その人びとに、平和と幸福の光源である日蓮大聖人の仏法、すなわち
太陽の光を送ろうと決意をされた。この歌には、先生の東洋広布への熱い情熱と信念と慈愛が感じられ、身の引き締まる思いがするんだよ」
〈小説「新・人間革命」〉 源流 一をよんだ感想と決意 島 幸弘
源流一 世界広布への道は昭和54年2月、御勇退の少し手前でった。池田先生は常に戸田先生との師弟に生ききっている。
師弟に生きる壮大な人生ドラマをこれからも新・人間革命から学ばせていただこうと新たな気持ちで決意致しました。