「創価の哲学」を全世界が希求 不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!
冴え光る
宇宙の英知か
名月を
心に抱けや
御書とともに
ひときわ月光の美しい季節となった。
「法華経は闇夜の月のごとし」(御書一五〇一ページ)と、日蓮大聖人は仰せである。
ことに、「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(同ページ)と示されている。
妙法を持つ我らは、皓々たる満月のように、末法悪世の闇を勇気と希望の光で照らし、友を励ましながら生きるのだ。
御聖訓には、「秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(同五七四ページ)とも説かれている。
秋の月光という縁に触れ、草木が豊かな実を結び、万物を育んでいく。それと同じように、この仏法の真髄を学ぶ我らもまた、妙法に則って、「一生成仏」という実を結びながら、自他共の幸福を築き、平和の道を広げていくのだ。
教学研鑽の喜び
今、世界中から、教学研鑽の報告が絶え間なく届く時代となった。
欧州でも、北米・オセアニアでも、中南米、アジアでも、教学研修会や教学試験が行われ、御書を拝し、仏法の人間主義を学ぶ喜びが広がっている。
二十一世紀の希望大陸アフリカでも、待望の第一回の教学実力試験が行われる運びである。
さらに日本では、青年部が先日、教学試験二級で「開目抄」等の重書に取り組み、立派な成果を示してくれた。
合否を超えて、尊い求道の努力を讃えたい。
先輩から情熱を込めて勧められ、多忙な中、受験に挑戦した青年が笑顔で語っていたという。
「父母たちが、なぜ学会活動に一生懸命に励むのか。その意義があらためて深く分かりました」
創価家族のエールに包まれて、教学を研鑽する成長と歓喜のドラマは、今や日本中、世界中で織り成されているのだ。
十一月には伝統の教学部任用試験(仏法入門)も行われる。
世の中には多くの試験がある。しかし、皆が人類最高峰の生命哲学の門に入り、幸福と平和の博士となっていく試験はわが学会にしかない。
そしてまた、学会の教学試験ほど、学歴や肩書や年齢など、あらゆる違いを超えて、万人に開かれた「学びのチャンス」はあるまい。
大聖人は、仏法の質問をした女性に、「三千大千世界(大宇宙)を鞠のように蹴り上げる人よりも有り難く、尊い大善根である」(同一四〇二ページ、趣意)とまで讃えられた。
どうか、受験それ自体が、誇り高く福徳を広げゆく大善根であることを、挑戦される方も、応援される方も、共々に確信していただきたい。
なぜ学会は発展
「人生とは自己を向上させる不断の努力です」とは、世界的バイオリニスト、メニューイン氏の言葉であった。
氏は、イギリスSGIの一婦人から教わった「南無妙法蓮華経」の音律に深く感動され、晩年、散歩の折などに口ずさんでおられたそうだ。
四半世紀ほど前にお会いした際、氏は、真摯に問われた。「なぜ、創価学会は、これほどまでに、驚嘆すべき大発展をしたのでしょうか」と。
私は、その理由に、学会は「人間のための宗教」であり、「法を厳格に守り、教えの通りに行動してきた」こと等を挙げた。
自己を向上させるために、何を為すべきか。世界を平和へと導くには、どうすればよいのか――。
全人類が切実に求め続けてきた問いに対して、我らには、明確な指標があり、実践の規範があり、則るべき大法がある!
学会は、この「法」を厳格に守り、「御書根本」を貫いてきたのである。
御本仏の大境涯
任用試験では「日蓮大聖人の御生涯」を学ぶ。
大聖人は、あの竜の口の法難で命を賭してお供した四条金吾へ、流刑の地となった佐渡から、お手紙を送られた。
「法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ」(御書一一一六ページ)
死を覚悟する大難も、極寒の流罪地の境遇も、「これほど幸せな生死はない」と、喜ばれておられる。これが、死魔や天子魔(権力の魔性)に断固として打ち勝たれた、究極の「仏界の生死」の大境涯であられる。
この絶対に崩れぬ三世の幸福の大道を、私たちは学び進んでいるのだ。
御書には、病苦や生活苦、家族の看病や介護、愛する人と別れる悲しみ、親子の葛藤、仕事・職場の圧迫等々、千差万別の試練に直面した門下への励ましが満ち溢れている。
御書を開けば、御本仏の大生命の赫々たる陽光を浴びることができる。どんな不幸も、どんな宿命も勝ち越えていける勇気が、智慧が、希望が限りなく湧いてくるのだ。