ナラヤンは、静かな口調で山本伸一に語り始めた。
「獄中では独房に入れられ、拷問に近い責めを受けたこともあります。家族とも会えず、手紙のやりとりも許されない。
手紙は外の世界とのコミュニケーションの手段として重要なのに、それが許されないのは辛かった」
その苦境が鋼のような不屈の意志を鍛え上げたのだ。日蓮大聖人は「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と
仰せである。
老闘士は、こまやかな気配りの人であった。途中、何度も菓子を勧める。
「インドのお菓子です。わが家の手製です。召し上がってください。甘いですよ」
伸一が礼を述べて、語らいを続けようとすると、ナラヤンは、「あなたは、先ほどから、全然、召し上がっていませんよ」
と“抗議”する。
「いや、今はお話が大事なので。探究、学習の最中ですから」と応えると、“不屈の人”のにこやかな微笑が伸一を包んだ。
強い心の人だから、人に優しくできる。
伸一は、信条について尋ねた。
「時代のなかで変わっていきましたが、今は、ガンジーの思想が私の信条です。それは釈尊の教えにも通じます。その思想とは、
ズボンは膝までの半ズボンで、上は何も着ない、半裸のガンジーの姿に象徴されるように、“裸の思想”ともいうべきものです」
“裸の思想”――その意味するところは深いと伸一は思った。イデオロギーで武装し、人間を締めつける甲冑のような思想で
はない。人間の現実を離れた観念の理論の衣でもない。ありのままの人間を見すえ、現実の貧しさ、不幸から、いかにして民衆
を解放するかに悩みながら、民衆と共に歩み、同苦するなかで培われた思想といえよう。
その思想の眼から、ナラヤンは、インド社会が直面する主要な問題は「カースト制度」の弊害であると指摘する。そして人間と
人間を生まれで差別し、疎外し合うこの制度が、仏陀の国に、いまだ根強く残っているのは悲しいことであると、憂えの色をにじませた。
源流 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘
思想が集まり権力と迎合し政治を利用すると、法としての制度化がはじまる。一部の権力者階級が最も好む仕組みの一つでもある。ささやかな庶民の平和で安心の暮らしこそが自由平等の世の中の価値観であり、本来の人間主義に通じて行くものと思う。しかして我々庶民こそもっと賢く政治を監視し、平和楽土建設のためにも自身の人間革命は必要であると確信する!