山本伸一は、さらに話を続けた。
「私たちが展開している平和運動は、人間の心のなかに“平和の砦”を築くことを基調としており、その歩みはカタツムリのような速度かもしれない。しかし、粘り強く行動し続けてきました。
波が岩に突進する。岩は微動だにしない。だが、何十年、何百年とたてば、岩は姿を変えていきます。それが、民衆による非暴力の革命ではないでしょうか。
それが、創価学会の平和運動なんです」
シン知事は、釈尊有縁の地・ベナレスの生まれである。仏教への造詣は深い。新聞の編集者を経て下院議員となり、工業大臣、鉄鋼鉱山大臣等を歴任し、一九七七年(昭和五十二年)から
西ベンガル州の知事を務めている。七十四歳と高齢であったが、その言葉には活力があふれていた。
西ベンガル州は、人口約四千六百万人(当時)で、インドで最も多くの人が住む都市カルカッタを含む大きな州である。貧しい人も少なくない。雇用や食糧問題、貧困による犯罪など、課題も
山積している。シン知事は、その現実の荒海のなかで、ベンガルの人びとの暮らしと命を守るために、苦悩し、格闘していた。それだけに、観念的な、うたい文句だけの「平和」主義には、
懐疑的であったのであろう。そして、生活者を組織し、現実の大地に根を張りながら、仏法を基調に平和運動を展開する創価学会に大きな関心を寄せていたようだ。
知事公邸は、英国統治時代にカルカッタがインドの首都であった時の総督の官邸である。部屋の壁には、上半身裸のガンジーの写真が飾られている。知事は、ガンジーと共に戦ったことを大きな
誇りとしていた。
話が平和運動の根底となる理念に移ると、知事は、自身の信念を力強く語った。
「私が信じていることは、“人類は一つ”であるということであり、それこそが、このインドで釈尊が説いた教えの本質です」
万人が「仏」の生命を具えていると説く仏法の法理は、人類統合の基である。
〈小説「新・人間革命」〉 源流 六十を読んだ感想と決意 島幸弘
人生を長く生きてれば、その人にはれ歴史があり苦難、闘い、そして苦難の連続でありある意味平穏な時などはごくわずかであるかもしれない、しかし、そのごくわずかの平穏のためにこの連続の苦難の歴史があるのも当然の事であると思う。一瞬一瞬生きているそのこと自体が戦いであるからだ。創価学会の信心は日々自分の人生を自分で決めて、その通りになるように祈って、そのように行動するというごく当たり前の事を行い、そして自身の目標を達成していく。一点特徴があるとすれば、それは日々自身のご本尊(日蓮大聖人の南無妙法蓮華経のご本尊)を拝し南無妙法蓮華経と題目を唱え、そして自分自身の目標を達成するように一念込めて真剣に祈る!これが最大の特徴です。一日の中で数少ない自分自身の命(個人の思いや考え自分自身そのもの)と向き合える重要な時間でもある。