一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
〽正成涙を打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて討死せん
いましはここ迄来れども
とくとく帰れ故郷へ
以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを嚙み締めていた。
彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。
伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
〽父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
此正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅
〽いましをここより帰さんは
わが私の為ならず
己れ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん
…………
彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。
“正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”
*小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十九を読んだ感想と決意 島幸弘
日本の歴史を考え思う事、先人が何のために様々な時代を文化を造りながら生きてきたのか?当然己の欲に生き抜きはかない最後を遂げた武将、家を守るために死を決した者たちなど様々な歴史を刻んできたのであろう。21世紀を生きる私たちは何を考え、どう生きるのか?立正安国論に「汝須らく 一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か」(通解) あなたは、すべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。(立正安国論 31ページ)とある。国の単位も自分自身の単位も同じで自分だけが救われ自分だけが幸せになるという時代ではないことは現在の世界の情勢を見れば納得できる、しかし世界のリーダー自身が民衆のリーダーであり、民衆が望む安心、安全の平和というものを二度の大戦を経験したものなら理解できそうにもかかわらず、個人の生命の魔性をコントロールすることができないようだ。世界平和のために民衆が立ち上がり連携していく広宣流布は時代が最も望む犠牲の無い世界平和実現の大きな試金石なのである。我ら創価学会員自らが日々自身の使命の尊さに歓喜雀躍して人生を送っていきたいものだ!