伸一は、二十一世紀にあって、宗教は今以上に、社会に必要な存在となっていくかどうかを尋ねた。
すると教授は、主に欧米における宗教事情を研究している立場から分析すると、社会的にも、個人という面でも、宗教を必要とする人は少なくなっていくのではないかとの見解を述べた。つまり、宗教離れが進んでいくというのである。しかし、憂慮の表情を浮かべて、「本来、宗教は人間にとって必要不可欠なものです」と付け加えた。
伸一も、人びとの心が宗教から離れつつあることを強く危惧していた。近代インドの思想家ビベーカーナンダが「宗教を人間社会から取り去ったら何が残るか。獣類のすむ森にすぎない」(注)と喝破したように、宗教を失った社会も、人間も、不安の濃霧のなかで、欲望という荒波に翻弄され、漂流を余儀なくされる。そして、人類がたどり着いた先が、科学信仰、コンピューター信仰、核信仰、拝金主義等々であった。
だが、際限なく肥大化した欲望の産物ともいうべき、それらの“信仰”は、精神の荒廃や空洞化をもたらし、人間不信を助長し、公害や人間疎外を引き起こしていった。
科学技術も金銭も、それを人間の幸福、平和のために使っていくには、人間自身の変革が不可欠であり、そこに宗教の役割もある。(聖教新聞より転載)
「宗教と言う意味合いを、特に日本でははき違えているように思う、しかしそのこと自体が宗教を信仰している者たちの実証ではないのか?
我が創価学会は宗教界の王者であるならば、私達創価学会員自身が信心即生活の喜びの実証を日々痛感し自分にかかわる人々から信心している人は違うね!と評価されるべきではないのか?「鎌倉中の人々からよかりけり」(四条金吾編御書)の通りに、もっと元気・勇気・前向きでいつニコニコしている日々でありたい!」