1963年(昭和38年)年2月3日 父と6歳の時に入会しました。まもなく55年となる。未来部から座談会・勤行に親の言われるままやってきた。高校時代の反抗期に一時退転もした。しかしご本尊様から離れて良い事は何もなかった。20歳で出会った家内に信心の話を思い切ってした。彼女は信心すると言ってくれました。この時期は勤行もしていなかった。
この事がきっかけ21歳で発心し、少しずつ男子部で頑張るようになった。当時の仕事は神奈川で調理師をしていた。その後家内は入会し、女子部も経験した。若かったが24歳で結婚、25歳の時に父から電話があり仏壇屋を手伝って欲しいとの事。
内容は父が店舗付き住宅を建て、これからさらに真剣に仏壇屋を始めようとしているときに、翌年に公明党の議員の話があったそうである。いよいよ父が仕事で本領発揮の時に公明議員の話も出て悩みに悩み私に話を持ってきたようである。
長男でもあった私は数日間家内と一緒に考えた。神奈川に住み、調理の仕事をしている、家内は保育士をしている。父の境遇、私たちの境遇を考えると真剣に悩む以外ない、さらに妻のお腹の中には長女を身ごもっていた。
人生の大切な判断はどのようにするのか? その時 私は ご本尊に祈り、ご本尊に任せる 事にした。
入会させてくれた父のおかげでご本尊に巡り合い、妻おかげで発心、男子部での戦いで 師匠である池田先生に巡り合い 今の人生がある。
この人生の人間革命のドラマを 本年新たな起点として 改めて生涯を題目根本に生きて行こう!