昨日2月3日は私が6歳の時に父と創価学会に入会して56周年となりました。
父と三兄弟と奥さんたちと孫の代表一人の合計6人で茨城県の私の牛久の実家で入会56周年記念勤行会を行いました。
三人の息子と言っても60代中心ですが昭和38年当時の父の入信動機を含めてみんなの前で初めて語ってもらいました。
創価学会草創のころと言っても良いと思いますが、父がどのような状況に置かれ、そして創価学会に入会したのか?
貧乏のどん底から、そして業病から、まさに地獄界から這い上がってきた宿命転換をかけた壮絶な人間革命の体験を聞くことが出来ました。
初めて聞く入信動機の事実、入会後、その日からの先輩幹部の折伏への強情な執念、折伏の渦中での実践の教学のすさまじさの体験談は今からは考えられません!
入会のきっかけは、母方の親戚の金銭問題からの流れで、父が大嫌いであった宗教である創価学会員の方に縁をすることになったそうです。
本質的には全く関係のない金銭問題に巻き込まれ、父自身がまじめゆえに追い込まれ、頭が真っ白になりながら、現実的に自分の未来の生き方が描けなく、特に仕事につての悩みの連続であったそうでした。そこで、まったく違うご縁から創価学会の信心の話を聞く羽目になってしまったそうです。
しかし、自分自身の不安な生命状態からは「確信あるその方の信心の話は自分お考えよりも確かだ」と信心の話を聞くうちに、自分自身の気持ちが少しずつ本気になって話を聞いている自分に気が付いたそうです。
今の自分の名の確証もない考えで生きていくのではなく、この人の言う「自分自身の仏界という最高の境涯を引き出す日蓮大聖人の南無妙法蓮華経という題目」を信じ、そしてその人の師匠という池田先生の創価学会の具体的で前向きな信心をしてみたい、未来に希望を持って生きていった方が間違いないと自分自身で思うことが出来、入会する決意に至ったそうです。
しかし、その方からは家に帰ったら「必ずあなたの奥さんに反対される」との言葉に「俺が話せば絶対納得する」とたかをくくって話をして、歩いて明け方に家に帰り、この信心の話をし、「一緒に幸せになろう!と話すと。猛反対されびっくりしたそうです。
折伏してくれた、その方の言った通り「本当にこの信心はその通りになるんだと改めて思った」そうです。
そして、「お前が行かないのなら、俺の子供だからこいつらを一緒に連れて行く!」と言って私と弟をつれて昭和38年2月3日に東京向島の常泉寺に行きました。当時はお寺にご受戒を受けに行きました。私自身も6歳ではありましたが、節分の日であったのでお寺では同時に豆まきをしていたとの記憶が残っていました。
「島さん、奥さんにはやはり反対されたね!でも未来の宝の大人材の息子さんを2人もつれてきたんだから大したもんだ」と待っていてくれた方々から称賛され、とても喜ばしく思ったけれど、いきなり正座して1時間以上のお経を唱えさせられたので、足がつらくなって仕方なかったそうです。その帰りに自宅にご本尊様をご安置する事になったのですが、そんなことも知らなかったのでした。
地区部長と地区担当とのもう一人の3人で自宅に来ると、仏壇の代わりになるものとして、ワイシャツの空き箱を使ってご安置したそうです。そのまま近所に折伏に行こう!と当時2階建てのアパートの両となりから全世帯、向かいのアパートまで一緒に折伏逝ったそうです。
その後も先輩に言われるまま折伏と勤行唱題を実践し、入会初月に6世帯、そして半年の間に25世帯の折伏を行い、母も誠に大きな体験をして入会をすることが出来たそうです。
父は縦線時代の班長に任じられ、また、折伏している相手先からの御縁で新たな良い条件の仕事にもめぐり逢い、折伏をすると自分もそうだけども人様の人生も大いに良くなり幸せになってくんだとの確信がみなぎっていったそうです。
今回はここまでの話とし、また次の機会にその先のたくさんの信仰体験を語っていくぞ!と87歳の父も意気軒昂になりました。
我が家の広布の歴史を改めて入会56周年記念勤行会を企画し、そして弟たちに呼びかけ親子でまたその家族と孫も含めてこのように父の入会当時の事を聞く機会をもって本当に良かったと思っています。
これからも一家・一族の和楽のためにも
自分自身が広布請願の祈りと行動で、すべて勝ち開いて来た父の強情な信心を模範として
三兄弟がこの信心をしっかりと継承し、その子供世代に継承しさらに責任をもって孫世代に継承し。
世界広布新時代の21世紀から22世紀へと子孫末代まで広布後継の絆を継承して行く事を決意し、
これからもすべての課題を乗り越えていく強気の信心で大勝利してまいります!