七十年前(一九五二年)の暮れ、前進の一年の総仕上げとなる総会で、戸田先生は「なぜ人間に生まれてきたのか」と問われ、こう断言された。「我々は、この世に遊びにきたのだ」と。
寿量品自我偈の「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」を、今の私たちの身の上に展開されたのである。「甘い汁粉には、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真の幸せも感じられないのです」 たとえ今は、塩の加減の方が多くとも、やがて味わい深い思い出となるのだ。
当時、私は日記に書いた。
「職場も、革命も、組合も、時代も、政治も、教育界も、科学界も、すべて、青年を味方にせずして勝利はない。青年を味方にするか、敵にするかが、すべての戦の鍵である」この決意のままに、翌年、男子部の第一部隊長に就任した私は、若き地涌の友と連帯を大拡大していった。
いよいよ、「青年・凱歌の年」の幕が開ける。
「凱歌」とは、戦い勝った祝い歌のことだ。その「凱」の字には、「勝ち鬨」「楽しむ」という意義がある。勝てば、心の底から喜びの歌声も湧き上がる。
さあ、君の胸に、新たな栄光の凱歌を! 我らは明るく楽しく、勇気の声、希望の声、英知の声を響かせていこうではないか!
池田先生・奥様、この2023年は私の生涯でも忘れる事の出来ない人生の大きな節目であり、境涯革命させて頂きました。2023年は凱歌の勝鬨を、家庭、地域、組織、職場から怒涛の如く雄たけびが舞に舞うよう強情に、しぶとくすべて信心で乗り越え連戦連勝の勝ち戦をしてまいります!