虚空厨子:アーバンスタイル・バージョン2:新色2本出来上がりました
2024年11月28日:仏壇制作頂いております工房より、本日新たな新作をお持ちしたい!との事、不思議にも
「創価学会魂の独立記念日」にの午後にお届けいただけました。素晴らしい出来栄えに!感動・感謝・歓喜しました。
毎日が充実・やりきっている達成感が違います。その原因は?
お題目から始めり、家族で御書拝読、11月28日、創価学会魂の独立記念日から夫婦で新・人間革命の朗読にチャレンジを始めました。これで題目根本、御書根本、池田先生の指導中心にが確定して継続していく事ができております。
これまでの自分の信心の姿勢を反省した事で蘇生のドラマとなりました!
人生たまには振り返る事も大切だと思います。
この信心をしていて、自分祈りが叶っていますか?
誓願の祈りをしているでしょうか?
ふと自分自身が「つもり」になっているのではないのか?
そもそも、題目があがっているのか? 題目は苦手!
御書は勉強しているのか?御書講義の担当か教学試験なら勉強しているが、基本はしていないのが現実では?
池田先生のご指導を学んでいるのか?新・人間革命を読もうと思い始めたが、ハワイから飛び立つ手前で
休止している自分。
そもそも信心しているのか?
そもそも、自分は創価学会員として「信心」しているのか?信心しているつもりになっていて、組織活動をしているから、信心していると勘違いしているのでは?
信心とは、信行学、題目根本、御書根本、池田先生のご指導を学び、自分の人生を宿命転換していく事
それでは「信心」とは何だろう!と考えたときに「題目をあげ祈りが叶うまで実践する」事では無いのか?」
仏道修行しているのに、好きだ、嫌いだ、苦手だと平気で言っている自分に気が付きました。
気が付くかもしれないが、自分が気が付いたなら反省して悪いところは直していく事が重要な事、気が付いたのに直さない、決意して頑張ろうと思っても続かない、その時点で信心の道から外れ、自分の宿命、宿業と向き合っていない現実が有る。
この信心はともかく題目をあげて、人間革命していくところに価値が有る。
人間革命をしたいなら、本気で信心する必要がある
人には寿命が有る、いつまでも生きられないし、自分自身が自分を信じ切れなくなり、自分を諦めてしまう事もある。
自分は何のために生きているのか?人から必要とされているのか?自分に自信は有るのか?
だからこそ!自分の生命と向き合うためにもご本尊に向かって南無妙法蓮華経の題目をあげてみる事だ!
題目をあげると自分で決めて、毎日継続してあげて行く仏道修行を実行することが大切だと体験しました。
題目が苦手な私が考えた事
題目をあげるのが苦手、会合でちょこちょこの唱題会は大丈夫だけど、自宅に戻ると大きな仏壇があり御本尊様が有っても、題目があがっているわけではない。
役職を持っていても、創価仏壇を販売していても題目とはリンクしていない。
結果、自分の仕事・経済的な宿命はいつもギリギリであり革命できない。
これほど自分なりに仕事で努力しても、結果として良くなっていく方向ではなく、だんだん厳しい現実になっていく方へ推移している。
それでは、足りない努力とは何なのだ?いくら考えても出てこない、浮かんでこない、堂々巡りの頭の中、それでも
考え抜いたその先に有ったのは、結局そうなってくるとやはり「アレ!」しかない!「題目」だ!
あとは題目があがるかどうか?これしか考えつかない、題目さえあがれば違う景色が見えてくるはずだ!
そう考え「題目」をあげると決意した。
そして実行することになるが、5分もたつと気持ちもフラフラ、題目あげているよ経営の本を読んだ方が良いのでは?
同じ業界では参考にする人はいないので、成功している人物の書物もかなり読み漁った。
結局「題目」あげても気持ちがふらついている
どうしてこんなに現実が厳しいのに題目があがらないのだろう!
そこには、まだまだいい加減な凡夫(どうにかなるさと言う)の生命が自分の感情を支配しているのだった。
自分でダイモクがあがる仏壇を作ればよい!と気が付く
そもそも、自分が使っている大きな仏壇はメーカーの製造したもので、「これなら良いな!」と思った仏壇である。 自分自身が「この仏壇なら題目があがるのだろう!」との発想はしていなかった。今なら「創価仏壇を販売」しながら元本の無明に気が付かなかった愚かさを自覚できているのだが。
この仏法は因果俱時、本因妙、依正不二と自分の一念が重要であり、その一念ですべてが決まっていくとの教えだ。
ご本尊様は同じなのだから、仏壇は関係ないのでは?と言う考え方もあるでしょう
考え方は人それぞれ色々、様々でもちろん結構な事である。
一番大事な事は自分が「題目」があがる事である。
題目が苦手だった人間が、題目をあげるようになったらどれだけ人間革命できるか!と言う体験をしたい。
自分が創価仏壇を生業としているのはただの販売して利益を得て商売がうまくいけば良い、そんなことは実は一度も考えたことはない、そもそも自分自身は商売には向いていないとも思っいる。
もちろん一生懸命仕事して儲かるならそれでよい結果なら文句も出ないだろう。
自分の人生の大半(43年)となった創価仏壇専門仏壇販売店、世界広宣流布の時代に入り益々絶好調で仏壇もドンドン売れていくならまだしも、業界全体が売り上げ、利益ともに下がり風前のともしびのように小売店が急激に減少していく姿が現実だ!
この現実に信心ではどう判断していくのだろう!
売れないのだからほかの仕事にチェンジしていくのか?
関連する仕事をして売上をあげて行くようにすればよいのか?
この仕事は私の使命だと心からそう思っている。
世界広宣流布していくために、全世界にご本尊様を流布していく、題目を流布していく創価仏壇なのだ。
結局、私が題目があがる仏壇を作れば良いのだ!との結論に達することになった。
大聖人の教義と現代の技術の結晶をデザインした題目があがる仏壇を作る
日蓮大聖人のご本尊様は法華経の虚空会の儀式にななぞられ、南無妙法蓮華経を主題に十界文字曼荼羅としたご本尊様なのである。そこで私は虚空会の儀式を調べ学んだ、さらにご本尊様をご安置する場所である「お厨子」の空間デザインをどのようにするのか?さらに照明どうしたいのか?空想から現実の形にしていくために様々に情報を集め、最終的に当店と提携しているしっかりと信心をされている仏壇製造工房と連携し、創価仏壇の究極の目的である「題目があがる仏壇」への思い、さらにデザイン、機材、材料、カラーなどを相談したところ、それほどまでの情熱をもってオリジナル仏壇を作りたいとの事でしたら、真剣に尽力させていただきますとの協力を頂けることになった。
仏壇を作ったことが無い自分が仏壇を作る!まさに人間革命ではないのか?
題目をあげるために仏壇を作るというのは、信心が有るからではないのか?
虚空厨子が完成すれば全世界の創価学会員の皆様に題目があがる仏壇を提供できる。その使命が自分にはある。
これまで誰も考えなかった。題目があがる仏壇の考案、発明!
ご本尊様を仏壇にご安置して題目をあげれば良いのだ!との発想ではなく
仏壇を大型に、荘厳にすれば高額で売れるという発想ではなく
他国で仏壇を大量に作ればコスト削減で、安く仏壇が売れるとの発想ではなく
題目があがる、題目をあげたくなる仏壇を作るという事
題目が苦手な男が考えた究極の方法であり、現実に作った結果、男は毎日1万遍の題目をあげられるようになりました。
題目をあげて行く功徳で信心の基本を体験することが出来ました。
1,自分の生命力がたくましくなるので、少々の事で気が滅入る事が無くなった。
2,自分の生命力が旺盛になるので、人生にチャレンジして行こう!との意欲が益々盛んになってきた。
3,なんでも夫婦で話し合い、お互いを尊敬し楽しく毎日が過ごせるようになった。
4,他人の親切が身に染みて感じるようになり、感謝の気持ちで生きることが出来るようになった。
5,自分がこれほど題目をあげる事ができる信心(自分を信じ切れる)が培われた。
信心とは究極、自分自身にある仏界を信じ、自分の最強の生命力を発揮して、自分の人生を自分の思った通りに生きていく生命力の源泉であると自分は体験した。
題目があがる虚空厨子と共に、これからも我が使命に生ききる
信心は永遠に進化していく生命の事である。
人間生命を触発し所願満足、衆生所遊楽の人生を創出していく事ができる。
人は環境に左右される。
自分が題目をあげてい行くための環境を「虚空厨子」にすることで私は題目があがり、家族で勤行を行う事ができ
さらに御書を拝読できるようにもなり、夫婦で仲良く「新・人間革命朗読」を進める事で、一家が信心根本の軌道に入ってくることが出来た。
毎日広宣流布のために生きられること、人と接する事で感謝できる自分があり、人に何か貢献できる事を探し実行できる自分になってきている。
これこそ広宣流布ではないのか?
日々一つ一つの出来事が充実し感謝できるので、すべてが歓喜の生命で生きられるのではないのか?
題目があがる虚空厨子と共に、これからも我が使命に生ききる人生・使命を果たしていこう!と結論する。