読んだはずの「法華経の智慧」わかっていたつもりのご指導が、現在の自分の命の境涯には
届かずにいたようです。あれ!とびっくり仰天。
題目が毎日平均的に上がり、自分の命が信心のDNAでだんだんとしみわたってきたところ
毎日朝の題目1万遍体験記での題目の表現に困り、どうしたものか?と考えたときに
「法華経の智慧」でしょ!とすぐにうかんできました。間違えた解釈はできないと新刊になった
「法華経の智慧上」を開くと!
読んでわかっていたはずのところが、命から「うんうん」と言う感じにならず、あれ~と思った
瞬間、これは新たな気持ち、清新な信心で学び直すことだな!と直感しました。
只今、私の著作第2号を執筆開始して1か月となりました(Kindle出版)テーマは題目と虚空厨子です。自分自身が苦手だった「題目」ここで決着をつけないと、結論は理の信心であり、現実は信心の世界からは遠く離れてしまい。日蓮大聖人、池田先生の弟子として信心の実証を示せない人生になってしまうと思っていました。
昨年9月のとても大切な我が同志の死を際し、信心の生死を深くとらえるためにも信心の根本「題目」にフォーカスせずにはこの先の人生はここまでになってしまうと、人間革命のドラマを永遠に演じてく
自分の使命をおろそかにできないと初めてこの次元での決意が出来たところ、そして決意から実行に移るまでの凡夫の心境も体得し、言うに言われないもどかしさを経験、そして「あとは題目だ!」と言う
自分の信心が「題目しかない!」に代わり、本門の人生が動き出した2023年4月、8月に100万遍の題目を達成し、永遠の軌道に入っていくところになりました。
そんな矢先に、日々の題目の体験記の表現について限界を感じた自分がいました。自分の命の感覚では
「法華経の智慧」は6巻の時が3度、あたらに新刊で上中下の3巻で発売したときに購入し1回拝読しましたので、内容についてはわかっているつもりで、題目の表現について池田先生の表現を通して自分が表現できるようになっていきたいと思いました。しかしながら本を開いた瞬間からこれまでの「法華経の智慧」とは違う読み方になった自分が有りました。
「わかっていなかった!」こんな驚愕の事実と出会ってしまったのです。
この段階で「題目の表現」ではなく、題目をさらに掘り下げたご指導を元に自分の信心を再構築する必要が出てきたと直感しました。早急に「法華経の智慧」を信心で読み、さらに深化した自分になる必要があります。題目をあげて来た功徳としか言いようが有りません。境涯はさらに深く、ステージはアップしていく確信を持てました。すべてに感謝しています。ありがとう座います。