私たちの日々の勤行・唱題には、「虚空会の儀式」に連なりゆく意義がある。
大聖人は、「是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり」(全1243・新2086)と仰せの如く、御本尊は「虚空会の儀式」が顕されている。
御本尊への真剣な祈りの中で、広宣流布の誓願を立て、現実社会に飛び込んでいく。その誓いがあるからこそ、「地涌の菩薩」としての限りない力用が湧くのだ。勇気が、そして智慧が漲っていくのだ。
私が広布を開きます!
今日はこう戦います!
必ず勝利に導きます!
私は、御本尊の前に端座するたびに、御本仏・日蓮大聖人、そして現代に地涌の陣列を
呼び出された恩師への誓いを深くしてきた。
この五十五年間(2013年当時)、毎日が「三・一六」である。永遠に決意の日であり、
断固と勝利へ出発する日なのだ。
法華経には、地涌の菩薩の使命が説かれる。
「太陽と月の光明が諸々の闇を除くことができるように、この人(仏滅後に法華経を
よく持つ人)は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」
現代社会には、深い闇が覆っている。
だからこそ、大聖人の「太陽の仏法」を実践する我らの出番なのだ。
後継の創価の師子王よ、走れ! 確信の祈り、勇気の行動、そして正義の声の力で、
民衆を、人類を明々と照らし晴らしゆくのだ!(『随筆 幸福の大道』、49ページ)
「私たちの日々の勤行・唱題には、「虚空会の儀式」に連なりゆく意義がある。」と
自分自身が朝晩、虚空会の儀式に参加している。
幾千万の仏菩薩・十界の生命と共に南無妙法蓮華経を唱え自らが自身の仏界を湧現し
最高に価値ある日々を世界広布の旗を掲げ邁進する使命と責任
創価学会の信心の底力を確信してやまない体験がある。